2010年9月25日土曜日

09/24 越境される制作と生活

9月24日  薄着では寒さに震える曇り

備忘録と紙一重の報告です。とりえず書くので、補足や感想、言葉や視点を変えてなどなど、続けて書いてください。


今日は、「キムチを売る女」を入り口として話をしました。
この映画の一つの設定である、中国の暮らしを離陸として、そこからさらに現代中国の映画の状況へと話の舵が切られてゆきました。映画の中に映し出される/映画が撮影される、中国を読み解きながらそのモードの変化について考察しその後、都市による眼差しを中心に、諏訪先生の経験を交えながらヨーロッパの映画の資本との関係性、アーティストの社会保障へと話が移行し、旅をします。最後は状況をよく見渡しながら、迂回、曇りで視界がさえぎられた寒い日本へ着陸。

ここからは映像が撮られた地域を越境し、上映されることについてです。ワークショップなどの体験談を基に、資本と映画の関係×上映と撮影のプロセスを照合。日本における作家の保障や資本の出る制度のモデルを先と比較しながら、地続きな新しい制作モデルを思考する。そののちに、制作と生活の天秤という発想から、研究と制作へ、関係性の設定を変えて想像。のち新しいイメージへ目指して。

あとはお金の話などなど。

というところで、他にも全然もっとたくさん話したのですが、あとは柏屋にまかせた。

1 件のコメント:

  1. あと、非常に単純かつ目の前の大きな問題として、金を稼いで仕事をすることと、誰にも求められないのに制作をすること(作品)を、天秤にかけない考え方はないのか?という問いがありましたね。

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